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美学
美学を語ることはまた美しい行為かもしれない。
彼の最も独我的で純然たる生の開放への咆哮、その暴力的な迄に我を展開する、或る一つの世界の支配者・施政者としての自我、何者もそれに一撃を加えることすら敵わない絶対的かつ余りに孤独な不滅の力強さ、誰とも相容れぬが故の輝きを放つ、それそのものが美しくさえある、美学。
美学は天才を開花させる。強く気高く美しい者を強力に支持する柱の一つは紛れもなく美学である。美学の倒れない限り、人は傷付きながらも進んで行ける。美学ある者の歩みには、その者以上の何かが常に力を分け与え続けている、白く光る影が見える。それは求道者に道を示す超越の使者だ。
人が永遠を求めるように、完成された美学は永遠なる命を得る。例えそれの主が死に果て、共有する者を持たなくとも、美学は確かにそこに打ち立てられ、幻影ではない、遺産として心有る探求者がその在り様に触れ、複製された命を宿すことを待ち続ける。
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Theme: 哲学/倫理学 - Genre: 学問・文化・芸術

【2008/02/18】 | Philosophy | 哲学 | trackback(0) | comment(1)
美醜
醜を知る者は美を知る前提を一つ得て居るが、美に至るべき才能が無ければ醜から這い出て来られない。
道は個に対し無限でありはしない。寧ろ人の見る夢に対して残酷な程に限定的である。
美に選ばれた人間だけが歩める、進むべき道。それが君の前に、幸運にも立ち現れたなら、君の脚はそれへ伸びなければ醜の蠢く餓鬼共と血を分けねばならなくなる。
中庸に立つ、醜と産まれながらに決別し、美の寵愛を得られなかった、中庸のみを知る者があったとすればそれは深刻な無感覚、惚けた愚鈍である。
美の胸の中で生きる術のみを知る者は、醜を知らぬが故にその美に豊かな共鳴を得る機構は備わらない。ただ、精彩かつ高雅であるところの、それ以外を持たぬ美になら体ごと運んで行ける。
醜は美の対極に在るばかりではない。美は醜の働きで独特の美を表現することがある。それは一種純粋な美ではなく、故に完全でないと換言することも出来ようが、しかし美の複雑を想えば醜の緊密な支持に依って成って居る姿を美のみを職人技で切取ったとしても美の真の姿は見えぬ。またその在り方からして、美と醜の明確な境界はどうやら少なくないケースに置いて存在せず、またそれを定義しようとすることそれ自体がナンセンスであるようなグレーゾーンすら有る。

Theme: 哲学/倫理学 - Genre: 学問・文化・芸術

【2008/02/16】 | Philosophy | 哲学 | trackback(0) | comment(0)
恐怖と嫉妬
「恐怖も極度に達すると、それを悩む人にとって、ちょっとした可能性までが必然性のように感じられる点で、嫉妬と同じだ」
―『昼顔』より
【2007/09/10】 | Philosophy | 哲学 | trackback(0) | comment(0)
理性と異性としての伴侶
理性的、否、理性そのものであろうとするならば、
異性としての伴侶を得ようとする態度と背反せざるを得ない。

愛憎の深まった、心情的振幅の大き過ぎる者たちは、余りに無抵抗・無批判的に肯定し、また余りに独我的・絶対的に否定することを繰り返す。
それは理性の要求する理性的価値を追及する目的からは真逆とすら言え、例えその程度がごく小さなものであっても、理性として不健全な生を送ることとなるのは疑いない。

だが、
人は感情を従えて理性を行使するからこそ、ある静的状況から全く別の生き物と呼び得る程に大きく変容することができ、その意味で、愛憎に代表されるバイアスには、理性を携えたまま心のままに軽々と未来を飛び越えてゆける人間にとっては、二つ目の生を代価として良いほどの価値がある。

さて、人と交わるに際して、何故“理性的に”異性としての伴侶を選ぶのか。
そういったとき人は理性そのものではないからだ。理性の要求も満たさなければ、理性を重んじる自分を、理性的判断を落ち着かせることができない。だから理性の声も、理性が働く時間には出来る限り聞こうとするし、聞かなければならない。だが、そういった人間にはそのとき必ず理性を屈伏させ、超越する心情的バイアスが働く。それが理性を程々に働かせたところで眠りにつけるから、心地良く、理性を裏切る、大きな理性的誤りを犯す。だが、彼は幸福である。理性より彼を正しさのなかで昂揚させるものを、彼は既に得ているからだ。
【2007/08/28】 | Philosophy | 哲学 | trackback(0) | comment(0)
安定的信頼関係への本性的欲求 或いは 慈愛の萌芽
まず理由は問題にせず、人は何物かを大事にしようとする欲求、また実際にそう扱う行動原理を持つ。
古代人や幼児、それに準ずる人間であれば、どこか特殊性を感じさせる石かもしれないし、草葺きの我が家、遊び尽きぬ玩具かもしれない。愛を持つべくもない殺人を恐れぬ者や、性欲に支配され性そのものとなった体で放蕩する者でさえ、強く熱い車や美しいナイフ、異性の使い勝手の抜群なものやその肖像・衣裳にはこの上ない愛着と誠実さを示す。
人は、例え暴力的或いは無知蒙昧、またその最悪な個体に至るまで、自己を規程する膜の外、つまり外部との安定的な、信頼し自己を委ねることが出来る関係を築こうとする、本性的欲求を持たぬ者は無い。
【2007/05/08】 | Philosophy | 哲学 | trackback(0) | comment(0)
宗教と哲学

哲学をやろうとする人間で、西洋哲学の片鱗も理解出来ない人間は、己の無能、悪人としての本性を自覚し、宗教に救いを求めるべきである。
出来損ないの詭弁家は世界を混乱させ無益な争いを生むことのみを仕事とするそのものであり、宗教はそういった人間に救い難い極悪をも哀れみ、知性など求められないただ信仰の一筋に於いて救済を約束するものであるからだ。
また、それら詭弁家に惑わされる無知者達にも宗教は似合う。真理が見出せないとしても即座に詭弁を排除出来るとすればそれは哲学の門の前に立つことを許される条件を一つ満たすことになるが、そうでないなら哲学者の道に入ろうとして詭弁家の道を歩むしかない性質の人間であるといえる。つまり、を求めて失敗し、語れば混乱を生むばかりの人間、それならば静かに信仰を続けていれば、楽園に往生出来ぬとしても少なくとも世の害になることはない。
また、そういった者達にも討論は許されている。無知者無知を知る為に、宗教者として、よりを持つ者にはなれずともより無知を持たざる者となりゆく道程に於いては、に関する問答は意義を持つからである。しかし分を越え、を仮想するようになれば宗教の道もまた途絶えるだろう。

宗教は凡そどんなに原始的な部族であろうと持ち、信仰することができる。を開拓する必要のない、そのただ全てを受容し従う在り方は、人間には本来的に困難な姿でなくむしろ自然であるのだ。誘惑や、とはならない興味をそそるばかりの情報に満たされた文明社会に於いて、つまり無知を蓄えすぎた無知者の混乱の中で、単なる信仰すら無知へと落込み、その道が阻害されるに過ぎない。

その信仰の過程に於いて紛争を起こすような宗教は論外、ここで言う宗教には含まない。西洋宗教はこの点で多くが無視される。仏教を含む東洋宗教のいくつかは、その教義が誤解されない限りに於いて合格である。
キリスト教は、古代人の想像力によって世界のはじまりや唯一神を規程してしまった点からして、将来的なの発展可能性を無視或いは過小評価しており、紛争の火種や信仰に於ける困難を払拭することができず、純粋な静かな信仰を阻害する、更には宗教そのものが破綻する可能性すら孕んだ、深刻な欠点を持つ宗教である。

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【2007/05/01】 | Philosophy | 哲学 | trackback(0) | comment(0)
No Love, No Creation
『愛なきところ、創造なし』

(俗にモットーと呼ばれるものが、ある個人にとって借り物である場合、彼には人としての芯と、生に於ける指針との間に渇いた空白が存ぜざるを得ず、彼の意志と視線は合致することなく蛇行で歩を進め、進むことを知らぬその無知すら知らぬ。)

私は、その道程の折々に私の表を掲げ、新たな命の在り方を創り出すだろう。より朽ちず、より輝ける命、その創造を許し、慈しむ大地が、即ち私の根源的な創造活動の一つ、我が一部である。
また、私は豊かさの概念を胸に秘めている。即ち私は、その営為のなかで、渇き、潤いを欲する。潤いとは愛だ。その真理は何より倒れず、曇り無く輝き、汚れた地平を曲がりなく浄化する。愛の湧くところ、我が創造する眼が融合へと導く。それは地にあり、言葉の狭間・奥底にあり、生命にある。
創造という喜び、生命の行く先、私はそれら始原の欲動と共に愛に染めた世界を駆けるだろう。

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【2007/04/05】 | Philosophy | 哲学 | trackback(0) | comment(0)
タイトルなし
悲しみの優しさがそうあるように
冬はどの体温より温かい
【2006/11/17】 | Philosophy | 哲学 | trackback(0) | comment(0)
往来と跳躍
最も重い言葉の圧力を嫌がり、次善から最悪の間を惑う。
この耳に届く手前で揺めく音、ここに取り込まれ生を共に送るべき大いなる存在が、爪先のためらいを掻き消さんと身を乗り出している。
私達は知れたなかを往来することを楽しみ、絶望との戯れに身を窶す。

甘味なき果実、それらを喰らい続けてきた舌の疑惑は果実が果実であるただ一点に拠り弁護される。

この道を行きながらあの道を行ける筈もない。踏破した道程をふいにする跳躍が人を人として歩ませない。寄る辺なき点を演じるな。
【2006/09/01】 | Philosophy | 哲学 | trackback(0) | comment(0)
無題
男は女を想う。
女は男を想う。
【2006/08/15】 | Philosophy | 哲学 | trackback(0) | comment(0)
幸福感の本能という阻害者
順応性と単純さだ。
どんなに高尚な知恵に満たされようと、既に踏み越えたものと新しく得るもののどちらにも、例えそれがスラムの不潔きわまる悦びであっても、快感を覚えるようになるまでに困難と呼べるほどの困難はない。
快感を見出し、その業を生き、更に欲してゆける柔軟さと動物性が、個人の統一を常に揺るがし、人間を分化させ、高め抜くことを許さぬ。そもそも、惑わぬのであれば、それを超克する為の、何億という命すら、魂まで巻き込んだあらゆる犠牲など、静かなる哲学など言うまでもなく、要されはしなかった。
下腹部が全く沈静化したとしても、人の惑いは消えることはない。人はそれぞれに何かを欲し動き回る動物的を逃れることができず、植物の真似事をした途端、精神から維持の危機に陥る。肉体を滅ぼさぬのが最低条件だとして、惑えぬ生を果たして人は送れるものだろうか。
【2006/08/11】 | Philosophy | 哲学 | trackback(0) | comment(0)
惑うという在り方
人は揺るがぬものに強張り偉大を覚えながら,静止するものに苛立ち蔑視を投げる.
余りに速く正しければどこまで突き抜けてしまうのかと戦慄,遅く理不尽であれば安堵し,先回りして道でも砕いてやるかと芯から弛む.
人は惑う
どの姿にも恐るべき敵対者を想像でき,逃れられぬ相克を痛感しながらも理想を描き夢に入らずにいられない.例え沈みがちでなくとも平静は保てず,慰めを常に求め,その良し悪しに生の価値を投影する.
何よりも耐え難いものでなければなんとか生き抜ける.あらゆる微妙な状況を経験に従い恥を忍び処しながら,地を踏み締めることこそないが固く信じる夢心地の肉体へと向かう.錯覚を疑うなど人のすることではないと言わんばかりに強硬に,感情の満足に生の骨組みを取らせるのだ.
【2006/08/10】 | Philosophy | 哲学 | trackback(0) | comment(2)
自ずから磔を望む者へ
欲するのみならば、それは尊敬と呼ぶべきものともなる。だが、奪おうとするならば対象は全く敵手となる。

あらゆる肉体的・精神的不都合を矯正し、引き剥がす妄想が、それを抱く当人を磔にし、夢遊病者の肉体と樹海に捕われた精神を生かす。そこに出口は無く、当然にして己がそこに在る感覚が生まれては忘れ去られるのみだ。
樹海は、認識の人の立ち入るべき境ではない。
【2006/07/12】 | Philosophy | 哲学 | trackback(0) | comment(0)
哲学の得た自由について
主張させた表情以外に滓しか持たぬあらゆる物事を置き,抜き去り,飛翔してゆく,そういう解釈もできる生き生きとした個の在り方を,愛のなかに見出せ.
眼が振動をやめれば光波を処理できないように,連続する最高の快楽がやがて無感覚となるように,外界との関係を排除するところに人格を失う自己であるように,停止は死の前に,無関係にある,最も恐れるべき,無の愛人,もっと正しくいうならば,彼等二者はアンドロギュノスの両面であるのだ.
活とは生,静止と停止の,また,座すことと座せる場を探し腰を浮かべることの違いを知れ.
知る,騒乱を要さない君は美しく在ることもできようが,知らぬならば,振り回される幽体と,腐敗を待つ肉体が熱を求めるだけだ.
せめて,どこかに,在れ.
意識を過信するな.現時点に於いて最高点であるものが可能的存在の最上である筈がない.大脳新皮質の薄さ,限界を見窄らしい人類に設定してやるな.考える己は疑い得ない,それがどうした,逆上せ上がるな.哲学は哲学だ,折角与えられ,物心のついたその脳を,“考える”場に限定し,終始させる輩がいるなど,馬鹿げている.起点は,更に“人間”に即したものでなければならない.
結局人間がやることなど,環境に依存せざるを得ぬのだ.自らの周りに不可避的に蔓延する科学の影響を免れた哲学がある筈がない.後生の哲学者がDNAをどうして否定し得ようか.思想は,私のみがあるという夢想を許さない時代に来ている.
未来では過去のように,また現代のようにデカルトが理解される筈もない.科学によって明らかにされたならその時点で古典となった哲学に固執する建設的意義はない.それをやりたい者達もいるのはいいし,それに任せていればいい.哲学は明らかにされていない命題を哲学していればいい.
我々は最早,未来を,また過去を見詰めることを恐れる理由を持たない.科学は哲学を圧死させるのではない.科学は,その賛美されるべき発見・進歩によって哲学をまたひとつ自由にしてくれたのだ.
哲学は科学と一層親密な友となってよい筈だ.
いま,我々が先進的を恐れる理由がどこにある?



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【2006/06/23】 | Philosophy | 哲学 | trackback(0) | comment(1)
蛇口
リストカットに代表される幼い精神に多い一群の自傷行為は,歪んだ自慰行為でしかないと考えるので肯定はしない.

どうしても,どうにかして,自愛の要求でも混乱の圧搾でもなく,自らに痕を遺す決定的損傷を与えたいと切望した,前例は,ない.
順応する血肉の彷徨う無常の世でありながら,取り返しの付かない,自己の宿る肉体を罰する他の相応しい敬虔の見当たらない過ち,というのは,ある.

掠め飛ぶ力を,葦の身から理解すべきだ.
接近するだけで危機は生じる.通り抜けるとき,それと連れ立って去れたと考えるのは甘い.
性向を信じるな.
他者が沈み込むより,疑わしい自己に真摯な集中照明を向けろ.
同時に,世界に無責任であれ.
擦れ違いも同居もするな.
人を見るな,カオスを見詰めろ.
実現可能性に向き合い,現象の前に立て.
個体と愛すべき人を同視するな.
力に皮膚を脱出させるな.
座と肉の不当な連鎖を断て.
利用できる脳は眼の奥にある(レンズと“視覚”を混同するな).
眼も顔も背も脳ではない,神経支配の末端に過ぎない.
不可視の,また抽象の場を生きろ.
動物らしい挙動の選択を誤るな.
【2006/06/19】 | Philosophy | 哲学 | trackback(0) | comment(0)
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玄晟.


Training and the experiment on various creative activities with Philosophical/Thought Poetry at the top. 哲学/思想詩を筆頭に創造的諸活動の訓練及び実験を。

Author

玄晟
  • Name:玄晟 (Genjou)
  • Male. Twenties.

    No Love, No Creation.

    O Cosmos, the motherless space
    That contains the whole of art and nature.
    My spirit settles down into an abyss with you.
    In the time, named the first half of love,
    This tranquil chaos is shining all around and
    Losing all the darkness.

    O Cosmos, now you and I become half sides of the creator.
    The universe undulates and gives me a love.
    The mortal overtakes the point of the wave and returns you a creation.

    O Cosmos, we are going to the end of the creation.
    We know when our world ends, but are affectionate to the fate.
    Let us create precious matter with existing partners until that time,
    Over and over.
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