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性の人間性について
男性的筋肉と女性的贅肉を求めるのは全く動物的だ.
人間に則しカスタマイズされた動物的本能が求め,刺激を受け,興奮し,その準備をし,果たすという一連の動物的目的が為の過程を,動物的に無批判の内にドライブさせているに過ぎない.
人は社会性と科学技術を発展させたおかげで,自由で平和な時間を余りに長く得た.人は脆弱であっていいし,エネルギーを節約しなくてもいい.暇になったら死にたくなるくらい,騒乱と浪費が似合う人間が何十年も生き長らえる.一生のうちに何個も新個体を遺すわけではないが,強烈な快感は毎日でも味わって何ら問題はなく,できればそうしたい.かくして人は性を主張する肌を出来るだけ露出させる殆ど無毛の身体を得,五感で満足する性行為を実現すべく肉と性感を進化させ,年中欲情できるという余りにも性的な本能を獲得した.

人間は,この性に惑うとき罪悪感を覚え,これに対する解答を宗教が用意し,肯定的であれば性行為のなかに神聖さすら見出し,否定的であれば欲望そのものから排除する訓練をこなす,というようなことになる.性の人間性は,ここにある.
動物的を悦ぶパートナーとなら,動物性を生きれば日々強い快楽を得ることもできるだろう.相手も回数もなるべく多いのがいい.もしパートナーが不足すれば,途端に深い苦悩に悶えるだろうが.
人間的を悦ぶパートナーとなら,例え不足したとしても,解決策に辿り着くまでに深く思索することはあっても深刻に患うことはなく,また,ある種の倫理的破壊を犯すことも防げるだろう.また,性と直接に関係のない領域と密接に関連させることによって,動物的方法では知り得なかった悦びに至ることも可能となる.
性を,あらゆる重要な仕事と同じように,人間的能力を最大限に用いて考察し実行していくこと.性を邪悪と考えないのであれば,性を肉の支配のなかに留めておかず,最高の性的充足を求めるのもいい.



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Theme: 哲学 - Genre: 学問・文化・芸術

【2006/06/23】 | Essays | エッセイ | trackback(0) | comment(1)
表参道とシャンゼリゼは似ている/或る優雅な街
表参道通りを概観するとき,歩道幅を広げて,勾配を緩やかにすれば,パリに,“la plus belle avenue du monde”に申し訳ないくらいのコピーです.
並木も,店舗の質もそこそこ似ています.ですが,建築はやっぱり,日本は日本,パリはパリ,です.表参道でちょっと路地に入ると,シャンゼリゼの趣は微塵もありません.

表参道をシャンゼリゼ化させる向きには賛成できる面もあるのですが,日本で,特にああいう場所でやると,どうもごみごみしたりスケールが小さくて,エレガントにはほど遠いと思うのは僕だけでしょうか.
シャンゼリゼの様に,歩道幅がもっと広くなるとすれば優雅の格も上がろうというものですが,識者内では,どうやらあれで十分広く取られている,と考えられているようです.
日本人向けのシャンゼリゼ,ということなら,その向きでいいのかもしれません.


歩道幅といえば,福岡は,「ここ日本ですか?」と思わずツッコんじゃうくらい,車道並みに広く取られた通りがあったりして,好感が持てます.
地下街も,よくある硬質な壁面の通りではなく,昭和の薫りある落ち着いたデザインになっていたりして素敵です.地下なのに昭和的街灯が灯っていたりとか,昭和的緑で彩色されていたりとか,柱がゴシックであったりとか.そこに住んでもいいんじゃないですか?

あるポスターに,「福岡は,ニューヨークにも,ロサンゼルスにも,シカゴにも負けない」とあったのが印象的でした.
確かに,街をいろいろと見ていると,東京や大阪の中心街のように,古くから開発が進んできて飽和状態,というものよりも,もっと自由で,新鮮で,シックなエリアが多く,何か,「新しい中心」を感じさせるものがあります.
ただ,開発を急ぎすぎて何かと分断が激しいエリアも見受けられましたが.

最近の,特に素晴らしい建築を一つ挙げるとすれば,やはり九州国立博物館でしょう.
まず,立地が憎い.有名な太宰府天満宮を抜けてすぐのところに巨大なエスカレーターを設け(野ざらしではありません.これも一つの先進的な建築です),スムーズな集客を狙います.
坂道を抜けるルートもありますが,太宰府天満宮を歩いた後に九州国立博物館,というルートが人気で,開館半年にしておよそ130万人が訪れたそうです.
東京国立博物館で年間100万人,京都・奈良国立博物館はそれぞれその半数に満たないと聞きますから,開館初年度であることを考え合わせてもこれは驚異的な数と言っていいのではないでしょうか(実際,開館一ヶ月の来客は17万人を見込んでいたようですが,予想を大幅に上回る40万人が訪れたようです).
建築についてですが,160mx80m最大高36m,曲線で構成された巨大な箱(蒲鉾型),と言った外観で,そのサイズにして威圧感を覚えません.中に入ると,縦横に大きく開けた空間が広がり,天井の滑らかな曲線と硝子越しの光,壁面の様々な大きさを用い印象を吸収させる格子紋様も手伝って,むしろ室内の方が伸びやかで清々しく感じるほどです.展示室までの経路は合理的で,エスカレーターを昇ればすぐ入り口・出口,更に昇ればまた入り口・出口となっていて,煩わしさもありません.
館員の人柄も手伝ってか,何の嫌みもなく,ただ洗練され,心地いい気分のなか,充実したコレクションを堪能できる,素晴らしい博物館だと感じます.

福岡に住むのもいいのかな,なんて思います.ラーメンだけの街じゃありません.



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Theme: 建築デザイン - Genre: 学問・文化・芸術

【2006/05/28】 | Essays | エッセイ | trackback(0) | comment(6)
最近気になったニュースに取材し小ネタ的記事を羅列する試み
CM視聴を強制される技術が出来たら嫌?ですよね.もう出来ちゃいましたけど.

ペ・ペタ?!PBのPはペタのPです.
ストレージの大容量化は止まることを知りません.

マメな方なら,無料で100GBのオンラインディスクが利用できます.
以前にも殆ど同じ内容のサービスがあったのですが,今回は頑張って欲しいものです.使い方次第では,なかなか便利ですからね.

デジカメ(+カメラ付きケータイ)の普及で,旅先ばかりでなく日常的に写真を撮る方が増えましたが,音を収集する方は,そうはいないでしょう.いつか,そういうジャンルが開拓されればいいと思っていました.
この製品の登場が,音と人間の関係を進める契機となってくれれば,世界が今より少しハッピーになりそうです.

紙媒体が好き.でも,電子媒体は,あ,愛っていうか・・・
そう思える日の到来を,幸福と呼びますか.

「自力で書けないなら,転載してしまえ」という新サービス,edita(エディタ).事前にブロガーさんの承認を得ましょう,とありますが,さて,そう上手くいきますか.

これ,既に見付けていた人は結構いるんじゃないかと思うんです.衛星写真なんて,誰でも見れますもん.「100以上」って桁がね,「写真見りゃわかるよ」って感じでしょ.
発見は簡単でしたね.制作目的の解明は,できるんでしょうか.そこには興味あります.頑張って下さい.

美食家泣かせのこの病,珈琲に予防効果が望めるのは日本でもTV等で取り上げられたことがあったかと思いますが,緑茶もイイとのこと.
両者大好きな僕としては,肯定の小波が打ち寄せてきたようで,少しく嬉しいのです.

でも・・・愛され過ぎた珈琲は,いつかあなたの心臓に爪を立てるかもしれません.

「遺体とも末永く付き合えるとしたら素敵ね.」こう言ったのが歴戦のゴス女ではなく,夜遊びを覚えたての小娘だとしたら・・・
この価値観,今の日本では狂気を思わせるかもしれませんが,将来は,彼等の活躍によって,常識になるのかもしれません.

「こら!自分の身体を食べちゃいけません!」なんて,あなたの大事な細胞達を叱ってやらないで下さい.満腹に見えても,彼等は重大な使命をもって,自分を喰うのです.

俺はこの人,結構好きですよ.カラダがいまいちですけど,髪とか綺麗ですし,ジョークのセンスも素敵だし,何より,聡いんです.

CMが牧歌的なら,実行部隊も古典的でした.コミカルな会社ですよね.

歴史の1ページ.彼女が,韓国の教科書に,政略としてではなく,有りの儘に偉大な人物として記述されることになればいいですね.

人間一人を世話するというのは,一人の人間が背負うには重すぎる仕事なのかもしれません.

M:彼女は普通でなかった,人情を解釈して頂けますか.
J:傷は傷,人は人です.何より遍く命は等価

刑罰としてのの重さは.
中国は,そういう歴史を歩んできたのだと記憶を辿らずにいられません.

黒い草の死の灰は,今日も愛する人の命を奪います.


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Theme: =世相もろもろ= - Genre: ニュース

【2006/04/21】 | Essays | エッセイ | trackback(0) | comment(0)
宛名の一つに定まった手紙
君は俺を怖れずともよい。それは既に告げた。

自惚れながら萎縮するのが、愛を嘆きがちな君だ。君との生き様を露出しないからといって、どうか孤独と嗚咽の食卓で鋭利な銀食器と拳を無血のまま傷付け合わせないでくれ。

俺はここで殆んど何一つ十全に語ったと想えたことはない。当時将に編まれるべき概念の網を編んでいるに過ぎない。
それがどうやら“理想的”な言葉の数々でなく、また我が生の実際や理想が書かれないようであるとすれば錯覚ではない。

君は、あの決断とそれからの死に体との矛盾を知っていよう。
さあ、ここまできて君の疑念は、まだそこに帰結するだろうか。それとも、誰の目にも明らかな例の怠惰な夢を見させる言葉をかけなければ、或いは例の真摯なる詳述を見せ付けなければ、君は繋がり合う生を確認できないのだろうか(蛇足だろう)。



12/10 追記
買い被っていることを意識しまいと努めていたが、無益だった。
はじめの決定的な誤解を解き、なお十分な意味内容がここに読み取れるものだと信じて書いたが、俺が為すべきは、君の歪曲したまま成長を続けた観念を矯正―救済したと言えるまでの努力だった。
君の“心理学”は青い。諭されているようであるのに辟易した。それは何か古典的な―科学を知らない古代のソフィストが語る、殆ど言い回しの問題である文学的な―散文形式であり、現代人や、変化し続ける個人の言葉にしては、お粗末だった。
正直に言って、俺は君がどうなろうといい。君がどうでもいいのではなくて、君が君を生きるならただそれを許容する自然な態度がある、ということだ。俺は君を殆ど無視した思考をよくするし、書く。これが“自惚れ”といった真意であるが、俺が使う“君”は、君でないことが大半なのだ。
俺は、敢えて低俗な愛や生について書くことが多い。社会に発信するには、まずそこから語るべきだと信じるからだ。考えろ。俺は“書く”のであって、そのままを生きるのではない。君は“文学”に捕われているのだろうか。俺がなろうとしている俺、俺がなるべき俺、など、言論としてここに一切書かれていないと断言していい。寧ろ俺は、廃絶すべき、刷新されるべき劣質な性質として、通俗的な愛を、警句として、書くのであって、直感的な言葉で言えば、その逆を生きようとするのが俺だ。
いま、俺には、君がどこまで無理解なのかを測るのが、厄介な仕事のひとつだ。

君があの決断をしてから、俺は君を無視した詩を書いた。あれは確かに俺の生の重要な一面ではあるが、君は俺の生に払拭されてはいなかった―寧ろあれに比肩できるほどに貴重であったし、いまその情勢に違いはあれど、変わらず貴重であると言える。

だが―俺の足を引っ張るな。いま君がやっているのは、殆どただ、駄々を捏ねているだけだ。たまに何か語ったかと思えば「助けて」「おしえて」だ。君は、俺との対話のなか、何を語ったか覚えているか?俺たちはどうあるべきだと言った?それとも俺が決定的に誤解していたのか?俺は、君の定めた我が儘な距離で、君の求めるだけの責任を、君の望む形で果たし続けなければならないと?
―俺に、愛無き人の役割を押しつけないでくれ。

俺は、君と対話したい。これはいまも変わらない。
俺は俺で君を無視しているようで独善的に映るだろうが、君は君で、我が強すぎる。また、君から提案してくれればいい。俺たちがどうあるべきか。それとも今度は俺に決定権があるのかな?
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【2005/12/07】 | Essays | エッセイ | trackback(0) | comment(0)
揺るがぬ演者
クリント・イーストウッドの眼が好きだ。あの「僕、知りすぎています」という眼、落ち着いて観ていられますし、彼に凝視されていてもきっと和やかな気持ちでいられる。
逆に、無知で無遠慮な眼は、どんな場面でもはらはらさせられる。「よく分かりません、いろいろやります」これはやばい。偶然に頼るしかない、無軌道な、コントロールされることが必要な存在というのは、見ていて余計な心配をさせる。役者は、役柄の上で無軌道であって何ら問題はないが、役を離れれば筋の通った人間であって欲しい。
この意味では、他にジョディ・フォスターやジャック・レモンが、いい役者と言える。学があったり、知的な役回りが似合う、ってことでもないですよ。善悪の観念がよく整理されている、自制心や美的感性に優れている、こういうところがその要因と言えます。
【2005/11/09】 | Essays | エッセイ | trackback(0) | comment(0)
Vodafone3Gの憂鬱
本日は何度も短文の記事をアップしていますが、これらは全てケータイからの投稿です。
僕が使っている機種では、ひとつのメールで全角250文字程度しか、送信できないんですよね。J-Phoneの間は全角数千文字のメールが送信できて僕的に重宝していたんですが、Vodafoneになってからは、送信可能容量やメディアは増えてきたんですが許容文字数はぐんと減っちゃいましたね。世界標準ですか、いろいろはみ出ていると思えるんですがね。定額サービスはいいんですけど(特にLOVE定額は最高です)、3Gにも、長文メール送信を許してやってくれませんか。「ここで区切らなきゃいけない」って制約は、萎えます。「使い放題ですよ 」ってな定額サービスは充実していくのにね。文字は画像や音声より、古いGのメディア、とか言わないで下さいね。

読者さんも、「短くて萎える」とか言わず、どうぞご理解をば。
【2005/11/09】 | Essays | エッセイ | trackback(0) | comment(0)
決定的に愛が欠けた、世界
(本題は後にあります。以下の前置きはさして重要でないので読み飛ばして貰って結構です。)

世界に、重要な事象は、数多あります。
経済は言うまでもありませんし、政治や法がなければ国家や国際社会という大きなフィールドが安定することは不可能です。
科学や技術は、非常に有用・有益で、蓄積と発展を繰り返すなか、もはや何一つ欠くことはできないと言えます。
歴史や言語は、規範をもって生き、ルーツの異なる人々と相互理解し折衝してゆくためには、忘れることはできません。
芸術や娯楽は、己に還り、生を顧みて潤いのある生活を送るためにとても重要なものです。
仕事は生活の基盤となりますし、食を逃れることはできず、家がなければやっていけません。
できれば良い伴侶を得たいですし、着飾ったり、スタイルを整えて、素敵な車があればいいですね。
あと、否定されがちですが、哲学の果たした役割は多大で、偉大なものです、重要ですよ(ここではひとつも詳しく書きませんが)。
枚挙に暇がありませんね、日本ではあまり意識されませんが宗教も多くの人々にとって非常に重要ですし、自然は、言うまでもなく重要です。

こういったことを考えていくと、いくらでも欠けたところは見えてくるものです。
法は完璧ではありませんし、政治も経済も社会も何もかも不完全で、何かが足りません。
人は、そのなかで、必死に生きます。
必死に生きるからこそ、重視するものがあり、軽視しなければならないものがでてきます。


―ざっと前置きを書きました。ここからが本題です。
このブログの読者さんであればわかって頂けていることと思いますが、僕は、愛について煩い人間です。

僕は日々、色々な情報に触れては吸収し、色々と考え巡らしては、色々と語り、書きます(ブログ上ではマメではないですね)。
その総ての過程に於いて、常々、こう感じているのです。
「世界には、決定的に愛が欠けている。」

思い出せる限りに幼い頃からそうでした。
我欲と打算に充ち満ちた醜い人々に囲まれ、身を休めるところなどどこにもない、そう、感じながら生きてきました。
皆さんからすれば、極端な見方だと思われるかもしれません。
ですが、僕には、あまりにくっきりと、まざまざと、強烈な迫力で、叩き付けられるようにして、あらゆる欲望と思惟が、見えてくるのです。

もちろん、「いい人」と呼べる人も、います。
ですが、そういう人たちであっても大抵は、突き刺さる憎しみを感じ抜いて、荒み行くことを避けられてはいないのです。
「彼に、愛し合えるひとりかふたりの人間がいれば、きっと、愛に満ちた人だったろう」
こう想えることは、少なくありません。
愛を獲得できる人間でありながら、あらゆる攻撃に晒される世界のなかで、自衛手段として、反撃あるいは最大の防御としての威嚇と示威と冷笑を用い、全く内面化されてしまった今では、愛を期待することすら忘れてしまった、そういう人間が、とても多いと感じます。
彼らにとっては、友人も恋人も伴侶も、どこまでいっても軽蔑し合い、排撃し合う敵、―或いはこういうこともあります―単なる物だとか利用できる(或いはそれすらない)障害物、なのです。

詐欺・横領や隠蔽・裏切りは日常茶飯事ですし、人を犯したり殺したりすることも珍しくありません。
大抵、大したことのない理由で、それをやるのが人間です。
本当に切羽詰まった人間が犯した罪を、あなたはどれだけ知っていますか。
どうにかできることを「どうにもできない」と言って最悪をやってのけるのが人間です。

「愛」こんな高尚なことを求めないとしても、思いやりだとか節制、そういったことで簡単に防げた筈の罪が、どれだけ多いことでしょう。


僕は、いまこの現状をみて「愛を諦めるのが当然である世界」を感じます。
皆さん既にご存じのことと思いますが、「ほっとけない世界のまずしさキャンペーン」というのが話題になっています。「ホワイトバンド」のあれです(詳細を知りたい方はリンク先で確認してください)。
この活動を「素晴らしい」と思ってしまった自分が、嫌だったりします。ただただ「こんなことは当然だ」と思っていられる自分で、世界であればよかったと思うのです。

そういうわけで、僕は常に、愛を語る必要を感じています(大体のことは本でも読めばいいわけですから、僕は殆ど単なる焼き増しとなる文筆活動に意義を感じません)。
また、そういった教育活動も、もっと為されるべきだと思っています。
愛を道徳の内に含めて教養のように教える現状は、どうでしょうか。
親も、教師も、委員会も、政府も、もっと愛を重視すべきではないでしょうか。
世界が変わらなければ、そのなかで生まれ、育ってゆく次世代の人間達も、やはり愛せず、愛されない人間として生きてゆくことになります。
小泉首相の「教育は最重要であります」という発言に、同感であったりもしました。
ですが、彼の言う教育に、愛は含まれていますか。


愛を真摯に伝えていく人間達が、もっと増えればいいなと思います。
愛ある世界を、切に願っています。


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Theme: 愛と生 - Genre: 学問・文化・芸術

【2005/10/13】 | Essays | エッセイ | trackback(0) | comment(0)
平等・不平等問題について
一度、ある団体の企画で知的障害者施設へ見学に行ったことがあります。
そこでは、入所者の方々が普通誰もがそうするように定職に就くことを目標のひとつとして掲げていました。
僕達は、彼らの生活実態を身を以て体験するため、彼らに混じり、彼らが仕事として請け負っている内職をこなしたり、同じ食堂で昼食をとったり、管理職の方から入所者の一日を通しての或いは月間のスケジュール、社会からの入所者や施設に対する評価についてのお話を伺ったり、共に論議したりしました。
彼は誤解を恐れるというよりは憎むという雰囲気で、慎重に、およそ以下のように語りました。「いまは社会の理解が十分に得られているとは言えず、ごく簡単な仕事しか任せてもらえないが、いつかは彼らが差別のない形で仕事を得、普通に生活していけるようになるといい。いや、そうしていく。」
目標は、挫けなければいいなと思いますが、大きな困難があることは想像に難くありません。誰しも平等な機会を与えられた社会、というのは、ひとつの目指されるべき理想として否定はしません。ですが、競争原理が隅々にまで行き渡った現実の様々な選別のなか「これ以下の者は採用するわけにはいかない」とする組織が大多数であるのは当然です。
社会は不平等です。例を挙げれば枚挙にいとまがありません。卑近な例で言えば、ある事象を解釈せよと言われたとき、一を聞いて十を知り百を語る者もいれば、全く誤解して憤怒するばかりの者もいますし、多くの人にとって恋愛対象と成り得る人間は30億人もいません。
誰でも経験的に了解し、それこそ肌身に染みていることだと思います。

この現実にあって僕は不平等をたのしむ姿勢を持ちたい。
不平等であるからこそ、僕はある人間に特別な一個人として認知され、彼やあの人や其奴ではなく僕が選ばれ、何事か打ち明け合い支え合う友となったり生涯の伴侶となったりする。逆もまた然りです。
不平等でなければ選択はあり得ません。選択する必要がないのではなく、選択肢がないからです。それこそ皆透明な人間になる。
ブログがなぜ存在するか、なぜコメントの中で意見が食い違い、議論されるか。ごく身近な環境にでも不平等は当然に横たわっています。

大体誰でも、ほとんどの不平等は当然のこととして受け入れてはいても、ほんのいくつかの不平等にとても敏感なのだろうと思います。
カネであったり所謂「頭の良さ」であったり顔や身体の輪郭であったり、家の立地であったり読書歴であったり「愛される」ことであったり、分不相応の願い、滑稽なナルシシズム、贅沢な悩み、焦点の違いです。

誰しも理想があるのは当然ですが違うものは違い、ある個人はその瞬間どうしようもなくその個人そのものです。
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【2005/09/10】 | Essays | エッセイ | trackback(0) | comment(0)
覚醒,人称,遅筆
(―覚醒の喜び)幸いにして,眠りに捕えられていない。
私は活動の意義を,それが本来もつ価値や,社会的な或いは将来獲得する有益として考え過ぎる。だから,それが論理性或いは感情や気分に操作された理性に否定されたときは,係る動機付けの紛失と同義であって,その実現を根底から迫害或いは妨害されるに等しい。
私が意識的な活動を十全に行う為には,それらに固有の性質をひとつひとつ確認する論理性の努力を別の方法で補うのがよい。そこで考えられるもののひとつが,意識的に活動できることの喜びを実感することだ。聊か神秘主義的だとかいう理由で歓迎しかねる向きもあるが,これによるメリットと考え合わせればその実現に際して要求されるだけには肯定的に受け止められる。
試してみて良さそうだ。
(続く)

(―壱人称について)私。俺が“俺”以外を自称するのには違和感がある。
公的な,特に学際的な場面では“私”,或いは,特に“文学的”な文脈では“僕”,超俗を衒うときには“我”がぴたり。知ってはいても,”俺”と自称すべきでない己を演じることを疎み,その時々に正当な自称をすることを照れている。
俺は自演一般を疎み,屡,憎みさえする。演者を数年通した経歴をもつし,そもそも俺の人生そのものが誰かしら演者のものだと言えそうでもあるが,それは現在の俺には肯定的な過去に収め切ることができず,屡,不快な想起とともに未だマスクを付け替えながら生きる己を自覚するわけだ。
できれば,“俺”を通したい。
(続く)

(―遅筆)当面の私の文章活動の目的は,私の整理だ。この目的をよく実現する為には,濫りに観念を掘り返すこと,健忘症の体で思考に遊ぶことは度々禁じられねばならない。私がいま為すべき文章活動のスタイルは,例え遅筆であれ,出来る限り論理的に整理された,現時点ではそれ以上語るべき関連項の見付からない,正に私の一部を表現する内容を書き進めるものだ。であるから,私は,あるテーマについて一度語り始めたら,次にそれを語るときにはそれに加筆修正する形を取らなければならない。
(続く)
【2004/12/07】 | Essays | エッセイ | trackback(0) | comment(0)
ココナッツ・ミルク
自然に生きていると,知るほどに空しさが増す事柄ばかりを知っていく。知ることが仕合せに直結するような事柄を見出す習慣をもちたい。

下らないと言ってしまいたくない。いや,下らないものを観たくない。蚊。蚊という現実が脳とディスプレイの間に割り込む。素敵な,投石じゃないか。次の瞬間,対峙すべき事象に舞い戻る。こんどは隠れない。

八指を組み,拇指を擦り合わせ,付近だけ冷や汗を掻く。Vladimir Horowitzの典雅なRachmaninoffが一度きりぶつ切れ,続くSviatoslav Richterは一弾毎に胸を摘み出すかの如き微視的鋭敏さでせせらいでは奔湍となる。秒針が安眠を邪魔するせいで自室に時計の置かれていない時期が長くあった。"リズム感"を養う為にもいいかと置いてみたが,どこかで邪魔されていたとしても自覚を得にくい。浴室以外で腕から時計のもげることはまず無い。便宜的時間の不在を恐れるのは社会的であろうとする欲求の表れでもある。蝿の時間"感覚"と人間の時間"感覚"。記憶としての時間。単位時間当たりの,世界。次元に歪められる時間,凍てつき,加速し,moving pictureになり,接触し,進歩する。○学的時間の混同。明日の全体,明日の体験,明日の再発,明日の人間と人間,明日の速さ,明日の活動領域,明日の変化,明日の想起,明日の認知,明日の無視,明日の覚醒,明日の脳。
...postscript
【2004/12/01】 | Essays | エッセイ | trackback(0) | comment(0)
心腹
もしかしたら俺は友人に恵まれているかもしれない。

かつて最も親しかった男が言った「お前は変わった。少なくとも友人を蔑ろにする人間ではなかった。」ある込み入った問題で,彼に頼るほか解決の糸口を掴めないというとき,久方ぶりの再会での言葉だった。友人の指摘で素直に深刻に反省したのはそれが初めてだったように思う。"友情"とは何であるか,すっかり忘れ去られていたと,友人と呼べる男など片手で数えられるほどになってから気付いた。

女といるのが楽でよかった。男はそこが例え聖域であろうと殆ど理由もなく臨戦態勢に入る。それでも昔は,少年的趣味と少年的話題の共有が為に男とつるみがちだった。特別に親しい女というのは物心つく頃からずっとあったが,女の友人の数が男のそれを逆転したのは高校に入学して間もなくのこと。同学年と3年の女に妙な人気がでた。毎日生徒指導をあしらっては女と戯れ,部活をやり,女と戯れる。学外交流も積極的にやったから,ケータイは顔のわからない女たちで埋まっていった。男なら,美少年か秀才。男からもそこそこ人気がでたが,大体,女にかまけていた。大学に這入っても状況は似たようなものだった。いくらかの組織を掛け持ちしたが,ひとつを除いては女が多数派で,女に,殆ど"圧迫"されている時間が多くなった。自発的に連絡を取るのは,9割が女。男からは,次第に離れていった。


女について「問題は脳だ」と言った男がいた。彼は最も大切な友人のひとりだ。

優し過ぎる性分故に苦悩する男がいる。眼鏡愛好家の,ファッション嗜好の,漫談上手の,3歳年上の彼。彼の望むことなら可能の限り応えてあげたい。

俺にとって最上の,統率者であり,ヴォーカリストであり,ピアニカ奏者であり,妻である,先輩。彼女には,仕合せであって欲しい。

「私たちという人間はね」彼女にこそ,認めて欲しかった,この上なく美しい個性的の言語運用能力をもった,ドクター。彼女のビジョンを観ていたい。

俺の思想と芸術に最も相応しい伴侶だった,小娘。別の生き物になったいまでも,愛は朽ちていない。君には,死んでもらっては困る。

現時点で特に重要な友人は以上5名。

友人を,大切に,生きたい。
【2004/11/20】 | Essays | エッセイ | trackback(0) | comment(0)
整頓
信じるしかない。
外界はいつも俺の望みとは別次元で変容する。
哀しみが最大の安堵をくれる情況は変わることが無い。
確かにあの次元にもあれは存在し得る筈なんだ。
あれ自身がそれを操作できるかが問題である筈だ。
あれの意思を信じている。
俺の働き掛けは,信じるしかない。
帰結してしまえば疲弊することはない。
望まざる帰結でも,それは正当であるから認めざるを得ない。
問題は,ここか,あそこか。
どういった心象で捉えるか。
次元は。
その関わりは。
どんな複雑さも相当に簡略できそうだ。
思考,その,"追い方"を整理してやれば。
例えばいま,昨日まで煩雑だったある事象が,過去の俺を呆けさせるほど明白に知れる。
ただ,言語化には大変な労力を要しそうだ。
結果だけ残していては,書いて置くことは危険となる。
けれど,どう,追ったか,秘密にしておきたくもある。
こういった均衡はなかなか心地好い。
さあ,遣ろう。
【2004/11/19】 | Essays | エッセイ | trackback(0) | comment(0)
選択
ヴァーチャルとリアルの違いだ。

そういえば,一昔前,そのテの作品が乱発されていたが,どれも一線を越えない,似たような思想に彩られていて詰まらなかったな。元ネタが同じなら,どんな凡人の想像も,類した凡に収まるだけだ。"あのあたりの,そこ"にあるものをどう表現するか,たかが知れている。非凡な彼が同じテーマをマニアックに表現してくれたら面白いだろうに。

凡であることに愛する意義を見出せない。凡人にも愛すべき要素はあるが,彼等は殆どが凡に属しているから,愛そうにも,どう努力したものか考え込んでしまう。「そもそも愛とは」と誰かが批判をはじめようが俺の思想とはそもそも無関係だ。愛を汎化しようとする者は概ね,凡人の愛に見兼ねた崇高の愛に満ちた賢者たちか,凡人の無智に付け込んで人心を操ろうとした独裁者たちあたりに誘導されている,或いはそういった知識すら無く"平等"くらいの観念のみに動かされているのだろう。

人が凡であるなら俺の愛は忽ちに消沈する,それだけの話だ。
【2004/11/17】 | Essays | エッセイ | trackback(0) | comment(0)
臨界
いま,心底に,狂ってしまいそうで,怖い。

人はとても易く狂う。

狂った人間なら大勢憶えている。俺自身,何度となく狂ったし,狂わせてきた。


三年ほど付き合った女との,あれは恋愛というより狂気。男色には飽きたし,ベッドのなかで惚れた女は去ったし,世間は知能より常識を信奉しているし,美は在る道理がなく,身を置くところは徳と自己愛の他ないだけに,半ば憔悴していたところへ好い具合の餌が誘いをかけた。当然,優しく喰い入れ,知と美で遊ぶこととし,愛を繕った。素敵なカップルとして,遣り,侵入し,刷新し,没入し,分裂し,より素敵になってゆく。堪え難い愛憎を,彼女の脱走が裁断したから,犯した。繰り返すから,殺しかけ,復讐の至福に酔いしれた。彼女の最も濡れるときは,痺れるときは,例えばそういうときなのだ。俺と同じ。だから,捕えては服従させ,逃がしては陵辱した。それはときに,純粋な性愛であり,純粋な暴力であり,純粋な殺意だった。将来すらないことは知っていたが,当時はその女とそれを遣り尽すべきだったから,形式は恋愛。はじまりから三年も経ようという頃ようやく彼女は無理矢理に男をつくり,この人獣から逃げ果せたが,未だ,彼女は俺の味を忘れられないでいる。不仕合せな女にしてしまった。


よく,弄んだ。男女とも,弄ばずして悦楽を得られない。

よく,弄ばれた。いまでも,犯される夢をみる。


犯したがる人間と出会うことが多くなった。実際,犯されるのも快感だが,それは犯人が美貌の人であるか,美を忘れ尽しているときに限る。俺以上の変態でもなければ,美的でもなく技術もない,はて,それなら犯される理由がない。彼のどこかが俺より優秀でなければ,更に美か技を備えていなければ,その陵辱に悦楽は無い。ああ,余りに清潔だった。拒み続けず犯され抜いていればよかったかもしれない。どうせ変態さ。
【2004/11/17】 | Essays | エッセイ | trackback(0) | comment(0)
手料理と期について
手料理が好きだ。ああ,勿論,俺の,手料理,である。

これは美味い!という料理を噛み熟したことは何度と無くあるが,我が手料理ほど我が舌を愉しませるものとなるとそうは無い。あぁ,想い出すだけで舌が痺れる。

例えばスパゲッティ。麺,具,ソース,一口目でまず唸る,二口目でやはり唸る,なぜこんなに美味いのか?と悲しいほどにスパゲッティを見詰め,撫で上げ,やさしく口に含み,瞬間,雷電の如き官能が頭頂を突き上げ,苦しいやら嬉しいやら悶絶がはじまる。「君こそが,スパゲッティだ,俺の為の,スパゲッティだ」おお,スパゲッティ,と,高らかに"暗唱"する。そう,周知の通り,食は静かなる愉しみでなければならない。料理という静穏の彼女が横たわるその手前で,甘美であるが故にその高踏を傷付けるようでは彼女を喰う資格はない。彼女はレディなのだ。いや,その超俗からして女神であるかもしれない。彼女の命を摂り込むに際しては,あらゆる人間は厳粛であらねばならない。彼女の最後の一片まで余さず咀嚼したなら,黙祷と皿洗いは欠かせない。


料理のツボとは何か。これは,味覚的想像力と確認であると信ずる。材料群から味を想像し,いろいろ組み替えてレシピを仮想する。そうしてそれを基に洗い,切り,和える,その間中,確認の徹底を抜かるな。想像と現実を繋ぐのは確認だ。そうして出来上がったら,喰うもよし,喰わせるもよし,ただ,彼女がどんなに醜く仕上がったとしても,レディであることに変わりは無い,謹んで,処するように。



物事には"期"がある。ある平凡類の愛が激しさに始まり通奏低音的となり煮え立ったかと思いきや空虚に収束してゆくように。

期は重要だ。人生の一場面にでもストーリー性のないことがどれほど乾燥したものであるか,口語でも文語でも文脈の整理されていないものの醜さはどうだ,音楽であれ活動写真であれ,期を無視したものの不出来を,君は山ほど知っているだろう。一般に,期にあって期にあらざる所為は不協和を呼ぶ,期をみて,君の振りを考えるのも一興。

期は予め決定されたものではないと信ずる。期は,要するに人間的な感覚に訴えるものであるから,この期に続いてはその期であらねばならぬ,ということはなく,例えばある人間に感受できるあらゆる情報の複雑な一部分をすこし操作してやる,それだけで,彼の求める次なる期はすこし様を変えるということが有り得るし,彼の求めざる期が彼に降るという"意外性"が彼にその脈絡を非常な快感として発見させるかもしれないし,そもそも求める期が次にやってくるとは限らない。彼の人生における次なる期は,彼と彼以外の世界との相関のなか決定されるものだ。彼の孤歩でそれは変ぜられないかもしれない,しかし彼は彼の期に影響する世界(ex.恋愛における彼女という外世界)を変ずることができる,さすれば彼の次なる期は幾許か変容することも有り得る筈だ。

もし,期というある程度長尺な時間の全体像を,考究の結果,人生に"期的"な満足を感じることができた,また,感じさせることができた,とすれば,君はちょっとした策士かもしれない。
【2004/11/12】 | Essays | エッセイ | trackback(0) | comment(0)
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玄晟.


Training and the experiment on various creative activities with Philosophical/Thought Poetry at the top. 哲学/思想詩を筆頭に創造的諸活動の訓練及び実験を。

Author

玄晟
  • Name:玄晟 (Genjou)
  • Male. Twenties.

    No Love, No Creation.

    O Cosmos, the motherless space
    That contains the whole of art and nature.
    My spirit settles down into an abyss with you.
    In the time, named the first half of love,
    This tranquil chaos is shining all around and
    Losing all the darkness.

    O Cosmos, now you and I become half sides of the creator.
    The universe undulates and gives me a love.
    The mortal overtakes the point of the wave and returns you a creation.

    O Cosmos, we are going to the end of the creation.
    We know when our world ends, but are affectionate to the fate.
    Let us create precious matter with existing partners until that time,
    Over and over.
..............................................




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