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真理と比喩
人は比喩に慣らされ過ぎている。
あらゆる“運用された”シンボルは比喩だ。

比喩は真理の表現にも活用されるが、ほとんどは誤認の宴を愉しむ為に利用される。

誰もがやっていることだ。幼児から神まで、比喩の例は無限にある。

人間は騙すことも騙されることも本性的に快感なのだ。
他者に対してばかりではない、人は日々、自己に暗示を掛けるが如く比喩を使い続けている。

比喩は比喩でしかない。
比喩が真理なのではなく、真理が比喩に射影されるだけのことだ。

影から光を掴む様に、比喩は活用されるべきなのだ。



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Theme: 哲学 - Genre: 学問・文化・芸術

【2006/05/19】 | Philosophy | 哲学 | trackback(0) | comment(25)
<<比喩好きのする誤り | home | 体験される愛>>
Comment
このコメントは管理者の承認待ちです
【2008/11/13 14:00】 | #[edit]
いや,いいね.
頬の辺りが綻びます.
【2006/05/24 12:47】 URL | 玄晟(管理人) #5bwaSGmE[edit]
ああ,整理されてきたね.素敵です.
問い掛けというより非難と呼べそうな言葉を並べ立ててすみません.
しかしmihoのこのなかなか美しい文章が仕上がったのだから,これは僕の試みの成功,もっと言えば二人の共同制作の試作完成,ということにして下さい.

僕もちょっと落ち着いてから,また思うところを書きます.
きれいな文章を書いて下さって,どうも有り難うございます,mifo,いや違った,miho女史.
【2006/05/24 12:39】 URL | 玄晟(管理人) #5bwaSGmE[edit]
真理という得体の知れないものを得たことなどありません。
得たことはありませんが得体の知れないものとして概念が共有されているというのは現実です。

あるかも知れないというところに意識を向けてみることが精一杯できることです。

現行(ここでいうのは一般的なことです)の話し合いに意味が無いと言ったのはかなり乱暴でしたが、そこに私は意味性を認められない、という段階に居ます。
特に因果の存在懐疑と要素の孤立存在の仮定の上に立つと。

無論私は話し合いを嫌って等いず、できることならあらゆる他者とあらゆることについてしつこく話し合えたらと夢想します。
しかし話し合い、せめて現行のシステムのような話し合いからは少しでも違う、生やされた者同士の予測のつく会話、会話という自問自答から意識的にでも抜け出せたものができれば、もう少し面白いんじゃないか、要素が仮設したもの同士をてらしあわせるだけではなく、解体し混ぜることができればと思います。しかし他者も自己もそれにはあまりに個でありすぎるのです。
向けられた言葉が相手から私に向かっていると認識してしまう。発した言葉は相手・自分どちらへのものでもなく、ある要素のものへだとしたら、そこには意識のアンバランスが生まれるでしょうが、もう少し個らしくありたる感情など生成されたもの抜きのことができるのではないかと。

発話・文字情報その他記号は異様に便利な道具であって、そしてその存在の疑わしさ以上に疑う余地のないものかも知れない。
哲学はどうかわかりませんが、文字・発話でそれを否定してみようと試みるのは少しキッチュで誠実な愚行へのアプローチではないかな、とも感じます。
私はそれをしているつもりはありませんがそう見えるのならそうなのかも知れません。

正当性の部分の話しで議論がお互いの云々と書いたのはだいぶ感情的になっていました。ただしそこはすり替えではなく、他者が他者の要素/要素の構築に対し正当性を会話の中で問いかけるのは、そこに居る個の立証につながってしまう意識を感じるからです。疑わしいものが疑わしいことを疑っている状態で、且つ疑わしいもの・疑わしくないものの正当性を考えることを非常に危険視していると、正当性などはそれこそなんでもない、何の意味もない、
正当性如何はなににのっとるのか、それを立証できるのか、正当性があるのか、という問いかけは何に依るのか。


おかしいのは言い方に翻弄されるところが部分でもあること。

断定的発話では個を強く感じてしまったりするのだろうか。
人は仮設した要素の輪郭をぼやかして見ることや仮設したものに問いかけをもつことは容易くこなすのに、解体作業には眼もくれないことが多いのではないかとわたしは考えます。

どうぞ私の文章には末尾に全て「~ではないかと私は考えます」をつけてお読み下さい。
【2006/05/24 10:00】 URL | miho #-[edit]
つーか,ここの日本語汚いね.
この程度の話なら平易な日本語で十分なので,これを用います(用いました,という説明でもあります).

mihoの考えがどこまでに至っているかはわかった.

じゃあ,君は一体いままで,真理を得てきたのですか.
真理そのものが何者であるかわかりませんか.
わかるなら,なぜわかるんですか.
わからないなら,なぜ“真理”という用語を用いていられるんですか.

別に真理だけのことではなくて,一体君は,どこに生き,何を得てきたのか.
君は一人ならそれで文句ないだろう.
環境であるとか教育であるものを,一体君はどう,得てきたのか.

問いかけの意味がわかりますか.
例えば.生える・生やされる?はて,どうやって?
そこでなんとなく,心理学ですか?

話し合いには意味がなくて,教育には意味がありましたか.
違いはなんですか.
君は話し合いには直観できず,真理も得られず,何か得体の知れない教育というものなら,直観もでき(それはどちらでもいいことだけどね)真理を得られる?
否,真理,と言わずとも,何が君に降ったのか.
話し合い,それを君は嫌っているだけだろう.

違う角度から話すと,
君はある概念を知っている,用いる.
それはどうやら,広いときには人類に,狭ければ数人に,共有される概念だ.
共有される,というこの表現は方便であり,君のモデルに反する用語,ではない.
君は,世界から自らの内にコピーする.
君はなぜ,「点を描け」と言われ点を描けるのか.
点を理解できたのはなぜだったか.

君は,確実に,発話・文字情報その他記号のなかから多くを学んできた(それに依らぬ理解もあったろう).
それを今になって哲学らしきもので否定してみる.
そのとき会話も否定できた.
いま,意味の無くなったことが,昔はあったんですか.
頑固になったんですか?
幼い頃は,何か外からの声だとかに意味のある人間でしたか.


正直に言って,俺は君に何かをおしえてもらおうと思っているのではない.
誤解を恐れずに言えば,ただ,会話を楽しみたいだけです.
君が何をどう考え,どう変化していくのか.

意味がないと思っているなら,押し黙っていろ.
俺から求められて渋々話すことはない.
どうでもいいといえば,どうでもいいんです,人の,思想とか呼ばれるものなんて.
ただの勘違いが殆どです.
君にそんなものを求めていません.


一応言っておきますが,正当性云々について書いたのは,会話にそれが必要,なんて意味ではなく,文脈を追え.

一切空虚,は,ここはブログだからそう書いた.他の人も見るから,わかりやすいだろうね,という意味,
と,君のは,君が言うように仮説に過ぎず,矛盾も否めないし,役に立たない,空虚だ,と.


ただ,要素の挨拶,と君が呼ぶものは,面白いよ.
実際,そんなことをしなくても,人はその目的を果たせるように訓練していくものだけどね.
【2006/05/23 19:25】 URL | 玄晟(管理人) #5bwaSGmE[edit]
全てが何かである可能性も、全てが何ものでもない可能性も、全ては繋がっているだろうし、全ては完全にバラバラです。そしてそれ以外でもありましょう。
【2006/05/23 16:06】 URL | miho #-[edit]
それに一切空虚、ではわかりにくく絶対に逃げることはできません。

色々を疑ってみて、一切空虚なのでは?としたとして、そこまで私という個が遠すぎる。

生きながら死んでいる状態では無い限り、
考えることも体現することも半端に終わるしかない。

私というモデルの中で私が神にならざるを得ませんが、神同一性障害に陥ることも可能です。


何より議論や意見はどちらかの正当性云々ではありません。お互いの立証でもない。

仮定がギリギリで、帰着や説得を少しでも望んだら私は会話の意味はそれこそないと思います。
【2006/05/23 16:02】 URL | miho #-[edit]
現行の話し合いには意味が無い。
対人という認識は身体と思考の圧を帯びることを避けられないから、本質的な思考の交換はできていない。
自己の投影である他者に対して言葉を外に出してみることは物理的な変化であれど、心象世界への影響は微々たるものであろう。それが言葉や思考を論理展開するときの効能。
しかし想像や妄想をするときの言語の用いられ方は心象世界に影響する、つまり、要素の配合や組み立てを変えることになりうる。


自身が相手との区別がつかなくなるような要素の広げ合い、仮設されているものをいったんばらして並べ合うということを行うことを、私は要素の挨拶と言ってみて、それがどうであるかは未だわからないが、現行の話し合うという形態からは大分離れたものとはなるだろう。

直観も真理も宛てがない。
定義はしているつもりはないけれど
定義はおそらく意味の無い話し合いにはとても便利だ。



どちらにせよぼやけすぎないように断定的に書いてはいきましたが全て仮定に過ぎません。

そしてとてもどうしようもないところを比喩表現だけを用いて言い表してみるしかない愚行には、飽き飽きはせどがっかりはしません。
【2006/05/23 15:55】 URL | miho #-[edit]
私は個それぞれのモデルはゼロになり得ると仮定しています。
要素というのはどの次元にも叛乱していると考え、それらは自由意志によって動いてはいませんが、内包か外的かそこも定かではないがエネルギーを帯びている。
私たちのゼロになり得る個はその要素を組み合わせて持ち、そのバランスが所謂個の個体性ということになる。
個それぞれが持つ要素の量もまちまち、抱え方もまちまち。
おそらくそこの差というのは身体が持つもともとの何か、ゼロになり得ると仮定した個から要素をすべてひいたあとに残るもの(つまりゼロでないからゼロは仮定としかいいざるを得ない)

無論思考も何も、今ある要素によって仮設された個の対外的行為であり、意識や自認はその統率システムであって自我ではない。

自我というのは恐ろしくあやふやな言葉で、自我が芽生えるとはよくいったもので、仮設状態の個を土壌として生える、生やされる。それは現行の社会システム・教育に非常に影響を受ける。
【2006/05/23 15:43】 URL | miho #-[edit]
一切空虚,と言ってしまえばわかりやすいけど逃げになる.

まぁ,自由に書いてください.
【2006/05/23 13:21】 URL | 玄晟(管理人) #5bwaSGmE[edit]
或いは.これもやはり俺が決定的に誤解した故の虚論かもしれない.
それとも,俺は把握し,mihoが誤解したかもしれない.

mihoモデルでは,こんなことを判定できるのかな.
直観によるしかない,と思うのは俺だけか.

もしそうなら,直観の正しさは,何によってどう証明される.

そもそも.
話すことに意味がありますか.
読むことにも.
否,個人が,思考するときにも,この問題は深刻ではないかな.

ある面では,mihoモデルは支持できる.
確かに,人はある意味で絶対的に,孤立するしかない.
それはそうだ.
だが,それで?
それで,人間の哲学や文筆活動は,否定され切ってしまうのかね.
それとも.ある人間の語ることだけは,正しかった?
そんなことがあるとしたら,それは,どう判定するのかね.
mihoモデルに反しないかな?
miho自身の正しさ,mihoモデルの正しさも,立証できそうにない,と思えるのは俺だけかな.
【2006/05/23 13:18】 URL | 玄晟(管理人) #5bwaSGmE[edit]
不安定.
考えてみると,mihoモデルは,この一言に尽きる.

それとも,「ある文脈では正しいが,別の文脈では正しくない」という矛盾を一切引き起こさない形の,mihoモデルであるのかな.
それならそれで,ちゃんと話してみて欲しい.
そんなモデルなら,俺は素直に賛美する.
【2006/05/23 13:06】 URL | 玄晟(管理人) #5bwaSGmE[edit]
そもそも.
mihoはどうやら真理に定義を与えているようだけれど,
さて,そんなもの,どこにあるんですか.
【2006/05/23 13:04】 URL | 玄晟(管理人) #5bwaSGmE[edit]
勿論,この問いかけは,「要素」についての,この文脈に依存する.
【2006/05/23 13:02】 URL | 玄晟(管理人) #5bwaSGmE[edit]
そもそもmihoが書いたことはmihoモデルのなかでの話に過ぎない.
これは認めざるを得ない・・・否,mihoモデルは絶対か?

mihoモデル中で,mihoは神だろうか.
mihoは考える.それは絶対正しい.
mihoモデルに入った別の人間があるとすれば,それも正しい?
そもそも正しいとは何だ.
mihoが「然り」とする,それは,そもそも何だ.
mihoの思考ってのは,そんなに信用できるものかね.
【2006/05/23 13:01】 URL | 玄晟(管理人) #5bwaSGmE[edit]
ある論理によって,十把一絡げに否定/肯定すりゃそれで済む,ってもんじゃなかろう.
【2006/05/23 12:57】 URL | 玄晟(管理人) #5bwaSGmE[edit]
mihoの考える要素,とは,一体どの次元に在るものを指す?
都合よく,「この次元のこのあたりにはあって,あの次元のあのあたりにはない」ということになっていないか?

身体の次元とは?
精神?精神なんてあるの?

原子に由来する物質と,人間の置く意味世界と,この連関を,mihoモデルで説明するとき,さて,miho個人は,空虚かな.
【2006/05/23 12:54】 URL | 玄晟(管理人) #5bwaSGmE[edit]
mihoは,全く,知識に依ってコメントを書いたけれど,では,知識とは何だ?
知識とは,mihoモデルでは,何によって,どの様に構成されている?
【2006/05/23 12:50】 URL | 玄晟(管理人) #5bwaSGmE[edit]
世界に,要素は,普遍に,一定数存在している?
それとも増減し?活動する?

人は何を得る?否,得ない?得ないなら,要素とは?
真理について語るmihoが,そもそも有り得る?
言語を駆使するmihoは,空虚?
【2006/05/23 12:47】 URL | 玄晟(管理人) #5bwaSGmE[edit]
うん,そうだね.

mihoは,要素の絶対独立というか孤立について何やら執着している様にも感じるんだけど,その考えは正当だと俺も思う.

でも,じゃあ,そこまで要素に分断されたモデルを考えるなら,人間一個は,どう捉えられるの?
例えばmihoという個人は,今まで,何を知ってきたり,体験してきた?
要素は,mihoのなかに,増えたの?
何が接触し(或いはそれすらなく?)新たなmihoとして日々生きる?

いまmihoが考える,その真理だとかについての論理は,一体どこからやってきたの?
それの正当性を何によって証明できる?

mihoの思考は何によって成り立っている?
思考の次元に,さて,要素とは,扱われる対象でしかない?
そうであるなら,思考そのものはどこに,どんな形式で在る?
思考の場であるmiho自身はどこに?

疑問は尽きない.
【2006/05/23 12:44】 URL | 玄晟(管理人) #5bwaSGmE[edit]
そして真理というものにはこの辺ではないのだろうかと意識を向けてみるくらいがせめても為し得ることであって 掴むこと そして勿論言い表すことを可としない 闇に向かって弱視の眼を懸命にこらしてみること
たまったもんじゃない
真理や愛やを簡単に口にすることは構わないし
ここまで様々な環境が口にするのは 世界が意図する警句か

何者でもなくなり要素の挨拶ができるはずなのに
人はあまりに個体である
【2006/05/23 12:03】 URL | miho #-[edit]
もう少し詳しくいうならば要素は要素で独立しているということです。関係性のことを述べている段階では恐らくは正確に相反しているとは言えないのですが、全てのものや殊人間の相互因果などは独立した要素の独立した動きがある傾倒の活動となるだけであって、それらがそれぞれにリンクすることはない。
比喩の話も比喩が指示すべきものにリンクするのは非常に困難なことであり、つまり比喩は詩であったりもっと感情を含んだものになる、それは生ける人間に接近した感覚とはなりうるが言わば身体の勘違いであって、示唆されるべきところ、論点は完全にずれるのではないかと。
【2006/05/23 11:56】 URL | miho #-[edit]
事象の連鎖/独立という視点は面白い.

もうちょっと長く書いてみてよmiho.
「気がする」で留めておくのは勿体ない.
支離滅裂でもいいから,俺もそこに交ぜて.
【2006/05/21 09:36】 URL | 玄晟(管理人) #5bwaSGmE[edit]
ふむ,そうだね.

"人"が"何"を"言わん"としたか,ここには真理に掠りもしない比喩を用いる可能性が,方法論上多分に含まれてる.

そもそも人が真理を得ていないなら真理を吐ける道理もない.
何かを誤ればそれも同じ.
仮に真理を語れそうな人間だとして,比喩を操る術を誤れば,残念,比喩は虚空を喩えるのみ.

もちろん,受け取る人間にも,問題のあることは十分にあり得る.
これは“コミュニケーション”だとか,俗な次元の論理でも十分に理解できることでしょう.

真理を“うつす”ということは,色々と困難が付きまとうんだね.

今更考えなくても,先人に教えられるだけで簡単に手掴みできる真理の少なくないことは,読むことを知っている人間ならよくわかっていることでしょう.
真理を取り合うセンスは,非常に重要だと考えます.
【2006/05/21 09:28】 URL | 玄晟(管理人) #5bwaSGmE[edit]
そうですね。本当に比喩は比喩であって、延いては比喩は真理を言い表すことに及ばないばかりでなく真理をたとえられてもいない、そこには何のとっかかりもないことも屢。
色々な事象が連鎖しているとも完全に分離しているともとれることもそんな気がします。
【2006/05/21 02:59】 URL | miho #-[edit]
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Training and the experiment on various creative activities with Philosophical/Thought Poetry at the top. 哲学/思想詩を筆頭に創造的諸活動の訓練及び実験を。

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玄晟
  • Name:玄晟 (Genjou)
  • Male. Twenties.

    No Love, No Creation.

    O Cosmos, the motherless space
    That contains the whole of art and nature.
    My spirit settles down into an abyss with you.
    In the time, named the first half of love,
    This tranquil chaos is shining all around and
    Losing all the darkness.

    O Cosmos, now you and I become half sides of the creator.
    The universe undulates and gives me a love.
    The mortal overtakes the point of the wave and returns you a creation.

    O Cosmos, we are going to the end of the creation.
    We know when our world ends, but are affectionate to the fate.
    Let us create precious matter with existing partners until that time,
    Over and over.
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