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平等・不平等問題について
一度、ある団体の企画で知的障害者施設へ見学に行ったことがあります。
そこでは、入所者の方々が普通誰もがそうするように定職に就くことを目標のひとつとして掲げていました。
僕達は、彼らの生活実態を身を以て体験するため、彼らに混じり、彼らが仕事として請け負っている内職をこなしたり、同じ食堂で昼食をとったり、管理職の方から入所者の一日を通しての或いは月間のスケジュール、社会からの入所者や施設に対する評価についてのお話を伺ったり、共に論議したりしました。
彼は誤解を恐れるというよりは憎むという雰囲気で、慎重に、およそ以下のように語りました。「いまは社会の理解が十分に得られているとは言えず、ごく簡単な仕事しか任せてもらえないが、いつかは彼らが差別のない形で仕事を得、普通に生活していけるようになるといい。いや、そうしていく。」
目標は、挫けなければいいなと思いますが、大きな困難があることは想像に難くありません。誰しも平等な機会を与えられた社会、というのは、ひとつの目指されるべき理想として否定はしません。ですが、競争原理が隅々にまで行き渡った現実の様々な選別のなか「これ以下の者は採用するわけにはいかない」とする組織が大多数であるのは当然です。
社会は不平等です。例を挙げれば枚挙にいとまがありません。卑近な例で言えば、ある事象を解釈せよと言われたとき、一を聞いて十を知り百を語る者もいれば、全く誤解して憤怒するばかりの者もいますし、多くの人にとって恋愛対象と成り得る人間は30億人もいません。
誰でも経験的に了解し、それこそ肌身に染みていることだと思います。

この現実にあって僕は不平等をたのしむ姿勢を持ちたい。
不平等であるからこそ、僕はある人間に特別な一個人として認知され、彼やあの人や其奴ではなく僕が選ばれ、何事か打ち明け合い支え合う友となったり生涯の伴侶となったりする。逆もまた然りです。
不平等でなければ選択はあり得ません。選択する必要がないのではなく、選択肢がないからです。それこそ皆透明な人間になる。
ブログがなぜ存在するか、なぜコメントの中で意見が食い違い、議論されるか。ごく身近な環境にでも不平等は当然に横たわっています。

大体誰でも、ほとんどの不平等は当然のこととして受け入れてはいても、ほんのいくつかの不平等にとても敏感なのだろうと思います。
カネであったり所謂「頭の良さ」であったり顔や身体の輪郭であったり、家の立地であったり読書歴であったり「愛される」ことであったり、分不相応の願い、滑稽なナルシシズム、贅沢な悩み、焦点の違いです。

誰しも理想があるのは当然ですが違うものは違い、ある個人はその瞬間どうしようもなくその個人そのものです。
あるブログの記事に触発されて書きました。そこのコメント欄に書くつもり(文体・自称等が柔らかいのはそのため)が文字数が多すぎたため大部分をこちらで掲載することにし、残りはそちら



数時間後
...書きながら思い続けていたが、いま読み返してみてやはり「一般論を書いたな」という感想をもってしまい、癪に障る。
これは会話のための文章。
言論?いやいや、こんなの聞き飽きた話。誰でも話す。
昔抱いた観念から順を追って丁寧に話そうとするとこの程度のものになるという悪例。戒を、戒を。
削除しようかと思ったがこれは晒しておくのがいい。


更に
いや、これはこれで完成した文章と言えるかもしれない。この文章には目的がある。ある文章に対する柔らかな応答としての文章。
異見したかったわけではないし、思考に遊びたかったわけでもない。
俺はその目的をもったとき、おそらく既にプロットを立てており、それに従い柔らかく書いた。
一般論に終始するであろうことは見えていたし、それでよかった。
何かと異色ではあるが、これはこれとしてここに在っていい。
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【2005/09/10】 | Essays | エッセイ | trackback(0) | comment(0)
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玄晟.


Training and the experiment on various creative activities with Philosophical/Thought Poetry at the top. 哲学/思想詩を筆頭に創造的諸活動の訓練及び実験を。

Author

玄晟
  • Name:玄晟 (Genjou)
  • Male. Twenties.

    No Love, No Creation.

    O Cosmos, the motherless space
    That contains the whole of art and nature.
    My spirit settles down into an abyss with you.
    In the time, named the first half of love,
    This tranquil chaos is shining all around and
    Losing all the darkness.

    O Cosmos, now you and I become half sides of the creator.
    The universe undulates and gives me a love.
    The mortal overtakes the point of the wave and returns you a creation.

    O Cosmos, we are going to the end of the creation.
    We know when our world ends, but are affectionate to the fate.
    Let us create precious matter with existing partners until that time,
    Over and over.
..............................................




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