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「有り触れた詩」の考察としての詩論
要約すると以下の如し。
「命が芽生え、生が花のように咲き誇り、やがて散り、朽ちる。」
ものによっては新世界の創世というほどの意味で「また芽が出...」というように展開される。
ここで表現される観念において、特に絶頂から絶命までの過程を焦点として「花火が弾け、散り散りの火花は闇に吸い込まれて」といった具合になるものも、ままある。

凡俗な比喩表現は、詩の鑑賞者が失われていく原因のひとつと言える。
消費すべきものがなく、希望ももてない表現者群にまごついていられるほど、お人好しではないというのが平均的鑑賞者の実際だ。


生の過程を花の一生に擬えることは、有り触れた手法だが、廃絶されるべきものとは言わない。

一般に、生を花と見立てるときには、その生に、上弦型と見なし得る起伏の盛衰を見出さねばならず、これは人生の全面を微視的に観察し尽くすなら、まずあり得ないことと言っていい。
生のあらゆる側面は、複雑な起伏を描き、それらを(ときにいくつかの、いや、都合の悪い多くの波を無視し)たった一筋の弧として統合したなら、そこには「花」を見ることも出来ようが、生に真摯に向き合うならば、生は「花」では手に余る。「花火」など以ての外だ。

詩とは、ただ理想的な世界を展開すれば善しとされるものだったろうか。
確かに、生のごく単純な比喩として「花」は有用でもある。誰にでもよくわかる。「取りあえず、わかりやすい形で示し、詳細は後に語る。いや、多くは無視するだろう。」こういった見込みで使われる「花」なら、それは「正しい」比喩だと言える。
だが、単なる「比喩」ではなく「詩」を名乗るのなら、例え「花」を用いるとしても、そこには「機微」や「意表を突く真理」が含まれていなければ実も無かろう。

詩とはそもそも「手掴みできるもの」であってはならない。
それに十分な想像力を「持っている」だけで手に収まってしまうものでは、それはその鑑賞者にとってはただの「比喩」か「随筆」でしかない。
また、詩は単なる「分析結果」ではない。
いかに全面を微視的に完全に分析し尽くしたとしても、それが一対一に把握されてしまうのであれば詩ではない。
「余力」を持たない詩は詩ではないのだ。

「花」は、比喩として生を語るには不足している。
だが、「詩」として生を語るならば、「花」には「自由」がある。
「花」は、あの「花」でなくともいいのだ。
あの「花」そのものでもなければ、単純化された「花」でもない。「花」を越えた「花」であれば生を語り得るかもしれない。

現象と形而上が接する領域を言葉の上に「落とす」のが詩人だ。

詩人が生-一面的であったり巨視的であったり、丸められていたとしても-を「花」で表現するとき、そこには「花」を越えた「花」がなければならない。
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Theme: 詩論 - Genre: 学問・文化・芸術

【2005/09/14】 | Poetics | 詩論 | trackback(1) | comment(3)
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Comment
このコメントは管理者の承認待ちです
【2008/11/13 08:58】 | #[edit]
コメントありがとうございます。
鼓太郎さんが「アトリエ疑誤植。」に素敵な記事を書かれていたのでそちらに先にコメントしましたから、こちらで書くことはそれの補足だと思ってください。

僕が物を書くときも、試行錯誤して結局書かず仕舞いだったり、書きながら何度も修正したり、書いたもののやはりあれはちょっと…ということはよくあるものです。
もちろんそれなりの矜持があるからこそ書ける、ということもあります。
ですが、僕は僕が得たことを「よし書こう」と思えたとき書くのみで、書けないことは書けません。

鼓太郎さんは絵描きとして僕が立てない観点から絵画について考察することもあるでしょうし、そういう体験があるからこそ、言葉に向かったとき見えてくるもの、というのも有る筈です。

実際、鼓太郎さんのコメントの中で、いくつも驚く点がありました。
僕は「巧みな」言葉だけを求めているわけではありません。言葉がそこにあれば、僕はそれを解釈することができます。言葉を解釈するということは、あなたを解釈するということです。
言葉はあなたの断片でしかありません。
それが整理されているのが「巧み」と見え、整理されていないものが「拙い」と見える。
解釈する側に、どれだけ自由裁量の余地を与えるか、その違いです。
書けばいいんです、荒っぽく言えば。

とは言え、絵でお返事が頂けるのは素敵です。
これも事実です。

書きたいなら書き、描きたいなら描いてください。
【2005/09/15 02:14】 URL | 管理人 #5bwaSGmE[edit]
こんにちは。
先日は、まだまだ拙い私の絵にあんなお言葉を下さってありがとうございました。

やはり文章畑の方は違うと申しますか、一つ一つの言葉がエネルギッシュで感銘を受けます。
ブログの方にお目を通してくださったようですので、大方おわかりかと思いますが、私は文章で表現することが苦手です。
いえ、絵の方も全然未熟なのですけれども。

冴悟さんのたった一文の感想で、私はとても嬉しくなってしまったのですが、
私がどういう言葉を繋げていけば冴悟さんの文章に思った色々のことをお伝えできるかわかりません。

ですが、「コメントを書く」という行為自体で、そのひとかけらでもお伝えできるなら、と思って書きませて頂きました。
【2005/09/14 23:50】 URL | 桜井鼓太郎 #tMEs2SJE[edit]
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有り触れたモチーフと構図
「有り触れた詩」の考察としての詩論 アトリエ疑誤植。【2005/09/14 22:28】
玄晟.


Training and the experiment on various creative activities with Philosophical/Thought Poetry at the top. 哲学/思想詩を筆頭に創造的諸活動の訓練及び実験を。

Author

玄晟
  • Name:玄晟 (Genjou)
  • Male. Twenties.

    No Love, No Creation.

    O Cosmos, the motherless space
    That contains the whole of art and nature.
    My spirit settles down into an abyss with you.
    In the time, named the first half of love,
    This tranquil chaos is shining all around and
    Losing all the darkness.

    O Cosmos, now you and I become half sides of the creator.
    The universe undulates and gives me a love.
    The mortal overtakes the point of the wave and returns you a creation.

    O Cosmos, we are going to the end of the creation.
    We know when our world ends, but are affectionate to the fate.
    Let us create precious matter with existing partners until that time,
    Over and over.
..............................................




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