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決定的に愛が欠けた、世界
(本題は後にあります。以下の前置きはさして重要でないので読み飛ばして貰って結構です。)

世界に、重要な事象は、数多あります。
経済は言うまでもありませんし、政治や法がなければ国家や国際社会という大きなフィールドが安定することは不可能です。
科学や技術は、非常に有用・有益で、蓄積と発展を繰り返すなか、もはや何一つ欠くことはできないと言えます。
歴史や言語は、規範をもって生き、ルーツの異なる人々と相互理解し折衝してゆくためには、忘れることはできません。
芸術や娯楽は、己に還り、生を顧みて潤いのある生活を送るためにとても重要なものです。
仕事は生活の基盤となりますし、食を逃れることはできず、家がなければやっていけません。
できれば良い伴侶を得たいですし、着飾ったり、スタイルを整えて、素敵な車があればいいですね。
あと、否定されがちですが、哲学の果たした役割は多大で、偉大なものです、重要ですよ(ここではひとつも詳しく書きませんが)。
枚挙に暇がありませんね、日本ではあまり意識されませんが宗教も多くの人々にとって非常に重要ですし、自然は、言うまでもなく重要です。

こういったことを考えていくと、いくらでも欠けたところは見えてくるものです。
法は完璧ではありませんし、政治も経済も社会も何もかも不完全で、何かが足りません。
人は、そのなかで、必死に生きます。
必死に生きるからこそ、重視するものがあり、軽視しなければならないものがでてきます。


―ざっと前置きを書きました。ここからが本題です。
このブログの読者さんであればわかって頂けていることと思いますが、僕は、愛について煩い人間です。

僕は日々、色々な情報に触れては吸収し、色々と考え巡らしては、色々と語り、書きます(ブログ上ではマメではないですね)。
その総ての過程に於いて、常々、こう感じているのです。
「世界には、決定的に愛が欠けている。」

思い出せる限りに幼い頃からそうでした。
我欲と打算に充ち満ちた醜い人々に囲まれ、身を休めるところなどどこにもない、そう、感じながら生きてきました。
皆さんからすれば、極端な見方だと思われるかもしれません。
ですが、僕には、あまりにくっきりと、まざまざと、強烈な迫力で、叩き付けられるようにして、あらゆる欲望と思惟が、見えてくるのです。

もちろん、「いい人」と呼べる人も、います。
ですが、そういう人たちであっても大抵は、突き刺さる憎しみを感じ抜いて、荒み行くことを避けられてはいないのです。
「彼に、愛し合えるひとりかふたりの人間がいれば、きっと、愛に満ちた人だったろう」
こう想えることは、少なくありません。
愛を獲得できる人間でありながら、あらゆる攻撃に晒される世界のなかで、自衛手段として、反撃あるいは最大の防御としての威嚇と示威と冷笑を用い、全く内面化されてしまった今では、愛を期待することすら忘れてしまった、そういう人間が、とても多いと感じます。
彼らにとっては、友人も恋人も伴侶も、どこまでいっても軽蔑し合い、排撃し合う敵、―或いはこういうこともあります―単なる物だとか利用できる(或いはそれすらない)障害物、なのです。

詐欺・横領や隠蔽・裏切りは日常茶飯事ですし、人を犯したり殺したりすることも珍しくありません。
大抵、大したことのない理由で、それをやるのが人間です。
本当に切羽詰まった人間が犯した罪を、あなたはどれだけ知っていますか。
どうにかできることを「どうにもできない」と言って最悪をやってのけるのが人間です。

「愛」こんな高尚なことを求めないとしても、思いやりだとか節制、そういったことで簡単に防げた筈の罪が、どれだけ多いことでしょう。


僕は、いまこの現状をみて「愛を諦めるのが当然である世界」を感じます。
皆さん既にご存じのことと思いますが、「ほっとけない世界のまずしさキャンペーン」というのが話題になっています。「ホワイトバンド」のあれです(詳細を知りたい方はリンク先で確認してください)。
この活動を「素晴らしい」と思ってしまった自分が、嫌だったりします。ただただ「こんなことは当然だ」と思っていられる自分で、世界であればよかったと思うのです。

そういうわけで、僕は常に、愛を語る必要を感じています(大体のことは本でも読めばいいわけですから、僕は殆ど単なる焼き増しとなる文筆活動に意義を感じません)。
また、そういった教育活動も、もっと為されるべきだと思っています。
愛を道徳の内に含めて教養のように教える現状は、どうでしょうか。
親も、教師も、委員会も、政府も、もっと愛を重視すべきではないでしょうか。
世界が変わらなければ、そのなかで生まれ、育ってゆく次世代の人間達も、やはり愛せず、愛されない人間として生きてゆくことになります。
小泉首相の「教育は最重要であります」という発言に、同感であったりもしました。
ですが、彼の言う教育に、愛は含まれていますか。


愛を真摯に伝えていく人間達が、もっと増えればいいなと思います。
愛ある世界を、切に願っています。


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後記
可愛い文体ですね。
眩暈がするくらい違和感がありますが、わかりやすく丁寧な文章にするためだった、ということで納得します。
内容は大雑把です。かなり大雑把。もっと詳しく書くべきだった?まぁ、大意が伝われば良い、ということで。今後、必要を感じれば各論を書きます。
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Theme: 愛と生 - Genre: 学問・文化・芸術

【2005/10/13】 | Essays | エッセイ | trackback(0) | comment(0)
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玄晟.


Training and the experiment on various creative activities with Philosophical/Thought Poetry at the top. 哲学/思想詩を筆頭に創造的諸活動の訓練及び実験を。

Author

玄晟
  • Name:玄晟 (Genjou)
  • Male. Twenties.

    No Love, No Creation.

    O Cosmos, the motherless space
    That contains the whole of art and nature.
    My spirit settles down into an abyss with you.
    In the time, named the first half of love,
    This tranquil chaos is shining all around and
    Losing all the darkness.

    O Cosmos, now you and I become half sides of the creator.
    The universe undulates and gives me a love.
    The mortal overtakes the point of the wave and returns you a creation.

    O Cosmos, we are going to the end of the creation.
    We know when our world ends, but are affectionate to the fate.
    Let us create precious matter with existing partners until that time,
    Over and over.
..............................................




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